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最近、やる気なかったです。

なんでか知らないけど
今回はいつもに増して無気力でした。

季節とか(寒くなるし!)…そういう時期的なせいなのか。
それとも、最近の心情的なせいなのかな?
自分でもそうだと気付きにくいところで、結構なストレスが溜まっていたのかもしれません。
そこで大きな休憩を入れたから
一気に栓が抜かれちゃったのかもしれないですね。


日常から抜け出してサボっていると、自己嫌悪に陥りますね。
周りはいつものように忙しなく動いているだろうに、自分だけがこの場所に止まっているような気がして、なんだかそわそわします。

やっぱり、忙しない毎日に身を置くのが一番なんですかね。

休んだ分をうまく取り繕うのが面倒臭いけど…。


明日から頑張ります。


甘い物をあんまり食べなくなった。

具体的には、甘い物を食べようとしている時には必ず
「別に食べなくてもいいんだけどなあ…」という想いが働いてしまう
…ということ、かな?
カロリー高いだろうな、太るだろうな、食べても無駄だよなあ…、と思ってしまうがために、結局手を出さずに済んでしまうことが多くなった。

まぁ、たまーーにノリで食べるのはいいんだけどねー。
あ、ノリっていうのは、例えば友達とちょっと奮発して珍しいお店に食事しに行ったとして、せっかくだからデザート食べよっかw ...みたいな流れになった時などのことです。


この傾向が始まったのは、遡ること、大学受験の冬だったと思う。

その頃は、起きたらとりあえず机に向かって何かしてなきゃ…な気持ちで毎日を過ごしていたので、食事も一日三食なんて食べていなかった。
まさしく、コーヒーを相棒にして過ごしていたような気がする。思い返せば。


mixi日記でもよく見かけるけどー
女の子達がふつうに騒ぐ、スイーツとかもほんと興味がないんだよ。
「何処何処のお店の○○が食べたいー><」 とか
「気になるー、誰か食べに行こうー><」 とかゆーの。(笑)


その代わりと言っちゃぁ何だが…

とうとう煙草を覚えてしまったのでアル。
今はヴァージニア吸ってる。(^ω^)

疲れた一日の終わりに。
やるべきことをすべて終えて、風呂に入って寝る身支度も済ませたら
家族が寝静まった後にこっそりべランダへ出て、一服してる。
ふぅー・・ってゆっくり煙を吐きながら、夜の空気に浸ってるのが好き。
落ち着けるんだよねー。


今は今しかないっていうから。

…たまに焦ることって、ない?


今しか出来ないことがあって
今だからこそ楽しいことがあるよね。

あれがやりたい、手に入れたい、…と思ったら、
すぐにでもやれるし、多分手に入れられる。
それが今の自分の環境。
それをフルに使えてるのかな?って思う。


今の自分をいつか羨む時がくるのかな。
ああしておけば良かった、って思うことがあるのかな。

もしあるなら。今、どうしても知りたい。



今ね。
毎日が満たされてるかどうか…よく分かんない。

考えてみれば、色々と欲しいものがある気がする。
もっと欲しいものがあった。

一番気の合う楽な友達と。
大学で会って、授業受けて、一緒にご飯食べて、喋って笑って。
それでいいけど…
うん、それもいいんだけど、もっと欲しいものがあるのかも。


多分、行動力の問題。

自分が思い描いてたとおりのことが、
ただふつうに待ってるだけで、ポンポン降ってきてくれると思ってた。
それがきっといけなかったんだろうな…。
うまくなかったんだよなぁ、色々と。思い返せばね。


だから、自分っていう人間がすごく面倒臭い。
斜に構えてるところとか。
何かを言い訳にするところとか。

最近、自分のことがあんま好きじゃない。


ああー…黙ってても時間は過ぎていくからなぁ。
てか来年になったら、もう3年生だ。
バイトの先輩(大学4年で就職先決定><)に聞いたけど、3年の後期からは就職のことを考え出さなきゃならないんだってね。

そうだとしたら、そうか…
じゃあどうしようかなー。。



んーとね…
最近、人の生き方を羨むことが多いかもしれないなぁ、って。

という具合に支離滅裂な感じで終わろうー。
今日は授業午後からだー。これから寝るぞうー。ヽ(´ー`)/笑


こないだ、環境工学という授業でデシベルについて習いました。

デシベルというのは…
音の強さや音圧という物理的な量に対して、では実際に人間はその音についてどういうレベルに感じるか?というものを示したもの。
音圧の量としては、なんとかかんとかっていう数値が存在しているのに、人間の耳では聴けないので、じゃあそこを0dB(デシベル)にしよう、みたいな感じです。

音の法則に、『ウェーバー・フェヒナーの法則』というのがあります。
なんてことはない、理系の世界にはごまんとある…ありきたりな数学的な法則なんですけども、、

よくよく考えてみると、結構身近なことを言ってるように思えた。


さて、どんな法則なのか。

「刺激量をS、感覚量をLとしたとき、刺激量の微小な増加ΔSに対する感覚量の増加分ΔLの関係を示したもの」、、というくだりが教科書に載っています。

つまり、「感覚量は、刺激量と対数的に比例の関係にある」―――

というものなんですけど…
これでもまだちょっと分かりにくいですよね。

グラフを示してみるとイメージが湧くだろうか。(テキトーですいません)
gl.jpg

授業で先生は、音のうるささや砂糖の甘さについて例を出していました。
音量が2倍になったからって、うるささも2倍にはなるわけではない。
最初にグンッと音量が上げられた時は、はっきりと「うるさい!!」って思うのだけど、その後は「うるさい」のまま…感覚量としてはだんだん平行線状になっていく。

あっ、そうか!すごいなこれ! って思った。


だってさ。
たとえば、ある小さな幸せがあったとして。

それは、現状が幸せな人間にとってすれば、どうってことない些細なものに過ぎないんだろうけど…
幸せじゃない誰かにとって、それは、とてもとても大きく感じられる…心の底からありがとうと言いたくなるような幸せなんだろうね?、、っていう話。


何についても、これは言えるのかもしれない。

人間の忘却曲線っていうのも、確かこんな感じだった気がする。これの下がるバージョンだったかなぁ。
あとは金銭感覚とか、人間関係とか、人の気持ちとか。
それこそ恋人同士のマンネリ化の話にも繋がりそう、とかね。(笑)


与えられるものが、あって。
今、自分がどういう状況にあるかによって
それに対する感じ方は、こんなふうに変わっているんだろう。

毎日が退屈だとかやる気が出ないとか、やりたいことがないとか面倒臭いとか、、
些細なことでは満たされなくて。
そういう文句を吐けるっていうのは、幸せな証拠なのかもしれない。

物足りないっていうのは、充分に幸せだから言えるんだよね。




…だから何だ、って話だけどさ。。
そういう仕組み?みたいなのを、なんとなーくでもいいから知っていたり頭の片隅に概念として存在してたりすると、なんか意識が変わってこないかな。

幸せな今があるから、それゆえに何かに対して盲目になっちゃう……なんてことはないようにしたいよね。
取り落とすなんてもったいないんだから。



ふとそんなことを考えた。

人の感覚とか…そんなの、概念的なものだって思うんだけど。
でもこれを、こんなふうに数学的に辻褄を合わせられちゃう、ってのがなんかすごいよね!それで納得しちゃうんだもんさー。
たまーにこういう発見すると、楽しい!><


自分の好きな道を見つけて
その道を没頭して歩いていく人に、嫉妬した。

本当はうらやましかった。

時を忘れられるくらいに夢中になれるもの、自発的に行動に出ることができるくらいに没頭できるもの。
そういうもの(分野)が自分にもあればいいと思う。


…だけど、そうなれない自分を知っている。

何に対しても、そこまで入れ込めはしなかった。
分類すれば「熱しやすく冷めやすい」人種なんだろうと思うけど、その熱しやすさの度合いは、本当に自分の好きなことに入れ込める人間からすれば、だいぶ低いだろう。
きっと適当に生きてきた。
いい意味での、楽な意味での… 適当ね。



だから、好きなことに没頭する人をいつも遠巻きに見ていた。
遠巻きというのは、
「すごいよね、よく真面目に取り組めるよ」って、別に大してすごいと思ってなどないくせに、そう言いながら眺めているような感情かな。
大学に建築のサークルがあるんだけど…
「サークルにまで建築を持ち込めないわあ…(苦笑)」とか友達としゃべりながら、そのサークルに参加して今も真面目に話し合っている友達を眺めてた。

そうやって…
真面目で一直線な人たちを見て、どこか冷めてた節があった。
高校生の頃からだから…かれこれ4年くらい。

でもね。

…その一方で実は。
同じ年数の間、自分が夢中になれるものを探してた。

本当はずっと欲しかった。4年前から。

そういうものがあれば、たとえば…受験時代に進路を考えるにせよずっと考えやすくなるだろうし、なにより自分の中で“専門”をもつこと、それは紛れもなく自分だけの個性となるわけで、自信に繋がると思ってた。


だから今、嫉妬してる。
建築を好む彼に、芸術を好む彼女に。

嫉妬を考えたからってどうにもなるものでもないけど、それでも…。




この世界で、わたしの好きなものって何だろう。
何なんだろうね?


こんばんは、ちるです。(゜ロ゜)/
チーズオムレット(お土産)はやっぱり買って正解でした。

しかし…。
旅行のお土産というものはどうして、現地ではすっごくイイモノに見えて、買っていったら家族は喜ぶだろうなぁーとあれこれ買って行きたくなるものなのに、、家に持ち帰ってみると途端につまらないモノに見えてしまうのだろう。
それがたとえ、よっぽど豪勢なタラバガニや高級なんとやらでない限り、たいがいのお土産品というものは自宅で見ると価値が下がる。味も然り。「あ、こんなものか…」ってなる。

―――というような随筆を小学校の頃に読んだことがあって。
それが、今も心に残っていたりします。

というか。あの頃に読んだ随筆や評論文は、小学生なりにもけっこう「へえー!なるほど!面白い!」と思わせる話題が多かったんです。だから、今も覚えている話題はわりとあって…。


それじゃ、もうひとつあげてみるならば、、
確かドイツに行った筆者のエピソード。
車が踏切にさしかかる際、日本では踏切前で一旦停止しますよね?決められた交通規則にのっとって。…ところがドイツでは逆にスピードを上げだした、というんです。
同乗していた日本人ジャーナリストが、こう訊いた。
「なぜスピードを上げるのか?電車にぶつかり、事故になったらどうするんだ。」

すると、運転手のドイツ人は不思議そうな顔をして、こう答えた。
「電車が来ていないから遮断機が上がっているんだろう?なら、早く渡った方がいいじゃないか。」

「しかし、万が一ということもあるじゃないか。」

「その万が一の時は、鉄道会社に過失があることになる。こっちは何も悪くはないのだから問題ない。」

「過失も何も…。事故になって危ないのはこっちの身だぞ?」

「だから、そのためにスピードを上げて、早く渡りきろうとしているんだよ。」


とかね
異文化の話は、まさにカルチャーショックで面白かったなぁ。

何でそんなものを読んだのかって?
実は、中学受験の国語の…塾のテキストや試験の問題文で読まされたものなんですよね。。^-^A
いろーんなエピソードや思想を語った随筆や評論、エッセイ、etc... 今思えば相当な数を読んだと思います。新聞の天声新語が載ることもありましたしね。



まぁ、これが…
中学に入ってからはめっきり本を読まなくなるのですが。。

では今一番好きな小説は!
というか目がないのは、やっぱり東野圭吾です!!


今が大好きだって、躊躇いなどしないで言える。

そんな風に日々を刻んでいこう。
どんな場所にいても。



では明日のために。
おやすみなさい。。


最近母親に

「雰囲気っていうか第一印象っていうか…。
広末涼子、って感じがするよねー。」

って言われました。

最近広末涼子を見たといえば、からだ巡り茶のCMくらいなものなので
特に週刊誌で騒がれることもないし(…ないよね?)、そう言われてもコメントに困ります。
…どうなんでしょうね??(^w^)



TSUBAKIを使うようになってから、髪の調子が良い感じ♪

…なーんて一度言ってみたかった。
現実はそんなことありませんってかよく分かりません。(笑)

髪が結構伸びてきたので、後ろ髪を前に持ってきて自分で毛先が見れるようになりました。
見たらだいぶ痛んでますね、髪。毛先がすごく鮮やかな茶色ってかオレンジになってた。…そりゃそーだ、ブリーチで明るくなった髪を暗くするためにカラーをやりすぎたんです。アイタタタタ…。

どーでもいい話ですけど、ロングヘアーの女の子が自分の髪を前に持ってきて毛先を見たりしていじってる姿がわたしは好きです!てか基本的にロングヘアーの女の子(を見るの)が好きです!
けど自分は別にロングじゃなくていい。秋になったら切ろうかなコレ…。

あぁ、でもその前に人生初のパーマをかけようか迷っています。
地元の美容院、今月中に行くと誕生月で2割引なんだよな…。どうしよう。似合わなかったらどうしよう。…と、なんとなく踏ん切りがつかない。(笑)


傷付けちゃいけないと思った。

大切にしなきゃいけない。

人間って理論だけで行動を起こすんじゃなくて
感情で起こす行動だってあるよね。
理屈じゃないよね。。


わたしは、目標がないとダメになっちゃう人間なので
新しい目標を打ちたてようと思います。

目指すものがあれば、頑張れる気がするから。

今は、何かしら頑張らなきゃいけないと思うから。



流されていたり、おざなりだったり
そういう自分に焦りと不安と疑問を感じた。

昨年の春に妥協で入っていくことを決めたこの場所が
ちょっと気を抜けば、結構不安定な場所のように思えているから。
それは今も変わらない。
焦ることや不安を感じることは…しょうがないかな、とも思う。


けど、何かひとつ
自信がつくための成功を手に入れたいと思った。

だからその一歩として。




とりあえずMEMO:明日有隣堂


友達がmixiで宅建取るーとか言ってるのを見て
え、なにそれ宅建?もう?
…あーせーるるる!(゜ロ゜)

わたし将来なにやろーうー。
るるるー。。


orz


わたしほんと何やってんだろう、今。

大学のカリキュラムをこなすだけじゃダメだって…
頭では分かっているくせに…。
じゃあ自立的に貪欲的に、何かをやっているか、あるいは何かをやろうと考えているか、っていうとそうでもなく、、日々を、ただ通り過ごすように送っていってる感じ。
確かにやるべきことはやってる(つもりだ)けど…。

このまま、大人しくワクに収まったままでいいんだろうか、って
たまに不安になる。
この選択を、わたしは生かせているのだろうか。


育ってきた環境がそうだから
過大評価をされていたいんだけど…
その一方で、やはり過大評価をされたくなかった。

かといって過小評価もされたくなかった。プライドが。


実にハンパな生き様で
これでいいのかな?って思う。

今は「順応」という言葉がこわい。
「妥協」という言葉もすごくこわい。


確かにそう。
愛情と依存と執着の区別って、難しい。

でもこれらって別に
それぞれにぞれぞれ別の定義なんて、
つける必要はないと思うわけであって。

愛情があるから依存して。
愛情があるから執着するのかもしれない。


心、想いとは感情であって
理屈や理論ではないのだから
時に必要に迫られるかもしれない原因と、結果さえあればいい。

原因と結果の間にある理由とか、理屈とか、理論とか、
行き着くための手段とか、駆け引きとか。
そういったものは全て端折っていい。

結果という事実さえあれば。



人は人に依存するものだ。

自分になくて
だからこそ欲しいものがあって
それを、偶然にも見つけ出したのだから。

だから依存することを
恐れる必要も、咎める謂れもないんじゃないか。


自分の想いたい通りに想って
したいようにして
言いたい言葉を告げて
過ごしていけばいいと思ってる。誰しも。

ふと過ぎった自分の心を
一瞬だけ何気なく捕まえてみたりして
ちょっとの間だけ冷静に見詰めてやって。
そうしてまた、何事もなかったかのようにそっと離してやる。

自由に泳がせてやればいい。
それを見送ればいい。

悩む必要もない、不安になる謂れもない。


それほど確かなものがある。
それを支えと、人は呼ぶ。


甘いね、自分の生きるこの世界は。
親も、子供も、社会も。

甘えている自分を知っていて
甘やかしている親をも知っている。
この充分に甘えられる環境を、私はよく知っている。


…でもってこういう話題を口にすること自体が
既にこう、耳が痛いというか。。そんな感じですよねー。(苦笑)


とりあえず。
私は別にニートを笑えやしない。
そして恐らく、私の知っている友達の大部分だってさぁ、、ニートを笑っちゃいけないと思うんだよね。同じ穴のムジナっていう言葉が言い過ぎだというなら、もっとしっくりくる言葉を探してくるけども…。
あ、これを読んで憤慨しないでくださいね。
ただの自己満足な呟きでしかないから。

だって私だってさー、大学進んでなかったら、普通にただのニートだし。
やりたいことなんてないし、でも実際そういうもんなんだって妥協も出来ちゃいないし、就職なんてまだ考えたくないし、社会に出るの嫌だし、ずーっとこのまま気侭に学生やってけたらいいなって思うし。


でもってひとつ思うのが、、

早稲田でも慶応でも明治でも何処でもいいんだけどー
まぁだって、ほら、ぶっちゃけさー。きっちり受験対策してくれる塾に通って勉強すれば受かるじゃない。一年もじっくり浪人すりゃ受かるじゃない。金出してもらって私立の医学部行かせてもらえれば、医者になれるじゃない。

でもそれ誇ってさ、ニートを馬鹿にするのってさー、何なんだろうなーとか思って。。
なんかホントむかつくんだよね…。
おまえだって私だって、親のスネをガジガジ齧って…齧りついて離さないくらいに現在進行形で齧ってるくせに、、今立ち止まってる人を笑うのってなんかおかしいと思うんだけど。
そりゃおまえも私も、高校を卒業してから大学に進学したってことで確かに進んじゃいるけど、でもそれって家庭に金があって環境があったからだよねー、とかさ。。
あー、耳が…痛い痛い痛い痛い。


いや…何だろう、ほんとすいませんね。
失礼なのは充分承知です。でもちょっとぶつけさせて。
最近妙に自分が卑屈でさ。。(笑)

なんかそんなことを考えてるよ。最近ね。


20070404154729

私の一番好きな花。
とても儚い花。

三寒四温の冷気にあたっただけで
満開に咲いた自慢の花びらを落としてしまう。
通行人は名残を惜しむように
落ちた花びらがつくった路を辿っていく。

風に吹かれて一枚、また一枚と花びらが散る。
それを見送る人の目は皆
切なさと愛おしさに満ちていた。


そういえば昨夜のカラオケでは、結局オールなんてせず、3時くらいに抜けると言った先輩と一緒に抜けさせてもらったんですがー。。
だってメンツがねー、先輩ばっかだったしさぁ。入ってまだ1ヶ月しか経ってない新人…しかも昨日の集まりの中で一番下の唯一の19歳だったしさー私。…あ、違うや。高校卒業した男の子がいたんだった。でも彼は暦長いから除外。(笑)

先輩があらかた曲を入れ終わり、先輩に「kyonも歌いなよー」って勧められて、「じゃあ一曲…(にこ)」って感じに電モクを受け取る…

そんな私は、結構“年功序列”重視タイプ。


…いや、なんかこういう話が家族旅行中に出たんですよねー。
バイトのこととか中高時代のことを色々語るうちに、あんたって年功序列をかなり守るよね、って父親に言われた。そして、言われてみればそうだって気付く。

それはね…?
中高時代の運動部系の上下関係の中にいたからだと思うんだよ。特に高校から本腰を入れて頑張ることになった体育委員だって、ほとんど運動部の人が多かったしさー。
こういうのって身につくもんなのね…。中1の部活決めの時期に、今更言うけど実はマンドリンギターをすごく悩んでた私に母親が言った言葉だった。中学の部活は絶対運動やりなさい!って。それでバスケとテニスと迷ってテニスにしたんだ。。

でもさ。
年功序列、結構大事だと私は思うよー。
そういうのをちゃんとわきまえてる後輩って、先輩の目から見てもかわいいもんだし。まぁ、謙虚すぎてもあれだけど…。なんだろね、その辺の調整をうまい具合にやれる人って絶対要領良いんだよ。世渡りうまそうだ。
…ってかあれよねー、態度の大きな新入りって、一部の先輩(男とか)にはかわいがられるかもしれないけど、、何処かで絶対に敵作ってる。ウザがられてる。あの子新入りのくせに図々しい、って。



私は敵を作るのが嫌なんだ。
自分の生きる世界に、なるべくなら敵を作りたくない。
…というか。
むしろ、敵を作ることにある意味恐れを覚えてる、って言っても良いかもしれない。それが怖いからそれが嫌なんだと思う。

だから“根無し草”という性質を建前にして、大体誰ともそれなりに付き合えるんだってことを口にして、実際に今までの人生割りとオールマイティーに付き合ってきた。どんなタイプの子とも。つまり、広く浅くってことだねー。
けどこれは、プライドを捨てて他人にへこへこしたいってこととは全然違います。波が立たないように静かに生きられるように大人しくしてよう、というのとも違います。
そういう卑屈で下心のある人間になるのは嫌だし。

…なんかごちゃごちゃになってきたな。。
文章まとめる力不足で、語り出すともう何言ってンダーか分からなくなっちゃってすいません。
つまりまとめると…


①自分に敵を作りたくない
②時にはプライドよりも優先し、他人にへこへこして大人しく生きる

①という望みを達成するためには②のように生きればいいだろう。つまり本来はストレートに考えれば①=②なのだ。
けど、私は②のような人間にはなりたくない。
①≠②にするために、私の性格…というか“性質”というものがある。
②は①にとって明らかに故意で人工的な手段でしかないが、その“性質”は生まれつきこの身体に持っていたものだから、そんな自分に疲れも、卑しさも、嫌悪も抱かないということ。
私はその生き方に誇りを持っていく。


敵を作るのが嫌いだ。
だからこの19年間、敵を作らない生き方をしてきた。
敵を作らないようにああいう振る舞いをしてきたんだ。それは故意も計画もなく、生まれ持った性質によって、無意識に。

これが多分私の全て。核であり、源であり、この身体を支える根だ。

テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ


…でね?多分見間違えだと思うんだけど、、
そのドキュメントのひとつのエピソードとして、講演を聞いたある女子高生の話が出ていたんですよ。彼女は個人的に渡部さんの家に手紙を送ったんですけど…。
その手紙の全体がパッとテレビに映し出された時に、最初の方に私の母校の名前が見えた…ようなぁー…。うーん、気のせいだったかなぁ…?^^;


彼女は、一日15時間という猛勉強を経て、都内の難関名門私立中学に見事合格した。だが、中3や高校に上がる辺りから次第に勉強についていけなくなり、高2の頃にはほとんど学校に行っていなかった。
彼女は言う。
「周りが頭のいい子達ばかりで、自分はここにいちゃいけないんじゃないかって思った。いなくてもいいじゃん、って思うようになった。」

―――そして彼女は自殺を考えた、のか。。



私にも似たような経験がある。
高校に入って勉強についていけなくなった。
その頃になると、受験塾に行ったりする子も増えて、頭角を現す子達が出てきた。中学のうちはわりと似たり寄ったりだと思っていたのに、差が生まれ、イメージが生まれた。“デキル子”っていう存在が確かなものになってきていたのだ。

…そうすると私の悪い癖が出る。
簡単に言えば、「この人達は違う人種だ」っていう思考が働くのだ。

結局それは高3にまで継続されて…。
友達とふつうに雑談していた途中に、何かのキッカケで塾の話とか勉強の話になると途端に黙る私がいた。受験期が近付くにつれて、よりリアルに将来のことを語り出す友達の話を、…ぶっちゃけ私はほとんど聞いてなかったんだ。
聞かなかったし、聞けなかったし、別に聞きたくもなかった。…というのが本音。


学校に来たくないと思う時期があった。
自分の居場所はここじゃないなぁ、って思う時があった。別の場所が欲しいと思った。

…でも死にたいと思ったことはない。自殺を願ったことはない。
“死”というものは、私にとってはまだ…意識してはいけない領域になっている。私ごときがそれについて考えるのには、まだまだ重く深いテーマだと思っているから。

だから、死を願う人の気持ちは理解出来ないけれど…。


余命一年半と宣告された人間は
“何”を想うのか―――


・ ・ ・ ・ ・

江戸川区の婦人服プレス加工業の工場を営む、渡部成俊さん。現62歳。
幼い頃に父親が他界してしまい、その後の家計を助けるために中学卒業まで一日も休まずに新聞配達のバイト。1円たりとも自分で使うことなく全額家に入れていたという。
いつかは自分のために働きたい... そう胸に秘めて出た社会は厳しく、会社でも苦労の連続。26歳の時に長年の苦労が実を結んで会社を設立。だが、同時に莫大な借金も抱えて…毎月60~70万の返済に宛がわないといけないという日々。それでも、奥さんと3人の息子と共に身を粉にして働いて、働いて、働いて、、55歳にして借金をようやく返済。「これからやっと家族に楽をさせてあげられる」、そう思った矢先の2002年10月、すい臓癌と診断されて摘出手術を受けた。渡部さんはこれを無事回復して、さぁこれからだ!
…というように、次なる人生を踏み出すはずに思えたが。。

05年5月に肺への転移が発覚。
この時60歳の渡部さんは、医師に「余命はあともって一年半」だと宣告された。

頭が真っ白になった。妻と二人、朝まで声と涙が枯れるまで泣いた。
今までの俺の人生は一体何だったんだろう。。
希望も未来もない一年半を、どうやって生きていけばいいのだろうか。
それが分からなくて…。なら今ここでピリオドを打ってもいいんじゃないか?そう思って、粉々に潰した睡眠薬をウイスキーと一緒に飲んだ。…自殺しようと思った。


余命宣告を受けた瞬間に、彼は一歩も前に進めなくなった。
なのに、彼は行動を起こす。
たまたま読んだ新聞に“命の授業”について触れたコラムがあった。彼はそれに興味を持って、すぐさま腰を上げた。。

宣告を受けた半年後には、自らあらゆる小中高校を回って、子供や親達に命の大切さを訴える講演を行い出した。自分の全てをさらけ出して、全ての想いと訴えを投げつけたのだ。
それはもう、ドラマや思想家の訴える綺麗事なんかではなくて…。
リアルに生と死を感じられる講演だった。

…もっとも私は、そのドキュメントを紹介するあるテレビ番組を見ただけに過ぎないけれど。それでもボロボロに泣いたんだけどね。。


ブラウン管越しであることが悔やまれるくらいに
強く生きる人の姿を、私は見た。
何故あんなにも強く生きられるのだろう、という疑問が浮かんだ。

確かに言える。
私には分からない。あの強さが。


分からないけど… 確かに感動した。
彼の強い生命と、自らの命を懸けた言葉の数々に、私は途轍もなく、途方もなく、遠慮も建前もなく、ただひたすら感動した。
そして、彼という存在に感謝をした。彼を今もこの世界に生かしてくれて、彼を知らない私にさえ、こうしてテレビを通じてでもいいから彼の生き方を知らせてくれた…運命にも似た“何か”に―――感謝をした。


レット・バトラー船長好きだー。

広く世界を見てきた目で、狭い世界に生きる群衆が騒ぐのを嘲笑するように見て、、生温かい笑みを浮かべたまま正論を突きつける姿がいい。
知恵を使って世間を出し抜いて、金を儲けて、そうやって良くも悪くも賢くうまく生きていける姿がいい。
スカーレットを憎ませて、愛させる。愛憎っていい響きだよなーとかね。。



"Frankly my dear, I don't give a damn."
(正直な話、どうだっていい。)


p.s. 同時に『三国志』読むよ!一巻借りてきた!
   …どうしちゃったんだろうかって? 眠くない夜がヒマなだけです。(笑)
   おすすめの本あったら教えて下さい。出来れば文庫本がいいなぁ。


今日、嫌いな自分を一人見つけた。


人間って、なんだかんだ言ってやっぱり自分が好きで存在を認めているから、、笑ったり、遊んだり、楽しいことやうれしいことを求めて頑張ったり、そうやって日々を生きていけるんだと思ってる。
私は、無意識に…いや、こう言っちゃえる時点で既にそれは充分意識的であるのかもしれないけど、自分の短所さえ愛せてる…ように思う。
愛すというのをもっと噛み砕いて言えば、短所を短所、つまり良くないことや改善する必要のあることだと自覚してはいるものの、でもそれがやっぱり自分らしいのかもなぁ、とある程度許容の心を持っている、ということだとする。

けど。
その定義にかすりもしないくらい、愛せない自分を私は見た。


私は結構な偽善者だった。


…とだけここでは述べて、逃げさせてもらおう。(笑)
とりあえず。
自分で直せる、あるいは変えられるとは到底思えない嫌な自分を見つけてしまった時に、ものすごく気持ちが悪くなるんだ。この…自分が大嫌いな心を、いっそ取り出して握り潰してやりたいくらいに心底気持ち悪くなる。私はね。
大嫌いだから…そんな嫌いな自分を捨てたいと思うのに、でもそれは容易く無くすことは出来ないだろうということも知っている。矛盾のようでこれは矛盾じゃない。全てが思い通りに取捨選択出来るなら、誰だって苦労はしない。「口が滑る」という言葉だってあるのだから。

やっぱりね。傷付けてからじゃ遅いからさ、、
大事な人を、ちゃんといつも大事にしてないとダメなんだって思った。
その人を想って、自分が辛くならないように。


最初に、この記事だいぶ毒吐きでスイマセン。(苦笑)
一日だけの派遣バイトに行くと、派遣先に必ずいる人種... についての考察。

まず。
多分もう一週間目とかでかなり慣れまくってる派遣の人たち。
派遣&社員が皆でつどう休憩室でも、かなり大きな顔をしてて、やたらグループつくって群れてる。
そして、あーだこーだとグチグチ…  愚痴る。
しかもやたら音量高くて盛り上がるもんだから、うz… うるさいのである。

例えば、説明の仕方のドヘタな社員を愚痴る女。
他社の派遣会社のバイトくんについて、作業がトロイと愚痴る女。
今の世の中について、明らかに知ったかで語るオバタリアン。 などなど。。


この「女」っていうのは、派遣バイトで必ずいる年齢不詳の人…いや、多分20代ですあれ。高校生に見える童顔もいればやたら老けた人もいる。
でもって、90%トレーナーかパーカー着てる。(残る10%は、時期も時期なのでセーターってことで…。)
そして極めつけに化粧が下手で、チークを塗りすぎてる傾向多し!!!!


絶対そうだから!!試しに観察してみ!?



そして男については…

何故か手ぬぐいを持参してて、腰にかけるか首に巻いてる奴。
もやしとデブのコンビ。だいたいゲームの話題をして盛り上がってる。(=オタク)
休憩といえば、とにかく少しでも寝る男。
昼食には弁当箱持参してて、弁当箱を大事そうに抱え込みながら…頬いっっっぱいにご飯つめこんでモグモグやってる男。労働には飯が命、みたいな…。

オッサンか?っていうのばっかりだけど…
見る限りじゃ、絶対に20代のフリーターなんだよー…。嗚呼…。


あとはまぁー 暇潰しのお小遣い稼ぎって感じの、30代のまだ若いお母さん達が、同じ派遣会社から来てる女子大生やフリーター(←今風の女の子)に、テキトーに話振ったりしてる感じ。
こういうグループも、休憩室の端の方でひかえめに出来てる。
彼女たちの存在は、倉庫内軽作業っていう…地味で殺風景な現場での雰囲気作りにだいぶかってると思います!!!><


そして最後に。
一日限りの縁に、別に興味がない人達。

イヤホンつけて…もう完全に外からシャットダウンしてます、、的なオーラ。
音楽聴きながら本とか雑誌読んで、ご飯食べて休憩して…
とりあえず一日のカリキュラムを黙々とこなしたらハイサヨナラ~。オメーラにもう用はネーヨ。 なタイプ。これは高校生~大学生の小遣い稼ぎのため一日だけ働きに来ましたー的な人に多いね。



あ、バレてる?私は一番最後の人種ですがww何かwwwwwww


漫画レンタル... なんていうのが始まったら嬉しいなぁ。

確かに、一度読めば充分って漫画は多いですよねー。
漫画って全巻そろえるとなると高いから、よほど気に入ったのしかいらないかな。
それに、満喫(ネカフェ?)は金がかかるっていうイメージと、あと、一人じゃどうも行きにくいってイメージがまだ払拭出来てないので…。
というかそもそもネカフェって一回しか行ったことないんですよねぇ。

漫画レンタル、利用者多いと思うのになぁ。
絶対儲かるよ!
頑張れーTSUTAYAー!(ーwー)

最近じゃ、なんか知らないケド…漫画のドラマ化や映画化がやたら多い気がします。
ちょっと前までは、漫画が実写版とかになるのって結構大きな話題だったのに、今じゃふつうになってるもんなぁ。
これって、今の時代を表してるんでしょうか。。なんつって。


2006年後期~今年にかけて。
今、日本を最も揺さぶっている“存在”というのが、、“ 子供

…だろう、と仮に考えてみるとして。

もうね、この歌を唄うしかないと思うんだ。
皆、発狂するほどに唄うべきなんだと思うよ、なぁんてね。。(苦笑)


いじめ。自殺。ニート。ロストジェネレーション。児童虐待。家族殺し。
そして、それらの問題を受けて、今ようやく慌ててメスを入れようと…総理大臣がやたら躍起になっている教育改革というもの。
何から何まで、気が付けばほぼ全てが“子供”絡みです。そう思いませんか?

“子供”...
本来は、“希望のカタマリ”の代名詞であるはずなのに。
“未来の担い手”という輝かしい肩書きを持った存在であるはずなのに。
たくさんの夢や、期待や、希望を秘めた目を持っていて。大体全てをポジティブに変換出来うるだけのパワーがあって。何も恐れず、何にも怯えず、胸を張って、平気で前衛を駆けていくような、、出かけた芽である子供達。

何だか今、とても可笑しい事態が起きているような気がする。
でも一体何が可笑しいんだろう。何処の歯車が狂ってるんだろう。
…とか、考え出すと割とキリがないけど。。(笑)


・ ・ ・ 

親A「子供らを被害者に、加害者にもせずに
   この街で暮らすため、まず何をすべきだろう?」

親B「もしも被害者に、加害者になった時。
   (我々に)出来ることといえば?」

親C「涙を流し、瞼を腫らし、祈るほかにないのか?」

親D「…いや。
   かろうじて出来ることが一つ。」

親C「それは?」

親D「相変わらず、性懲りもなく。
   ―――愛すこと。」

親A「愛すこと?」
親B「愛す?」
親C「愛?」

親D「そう、愛です。」

それしかないと思います。
本当に。切実に。…物凄く難解な一文字ですけど。
だって“愛”、、きっと足りてないですよねー今の世の中。

テーマ:Mr.Children - ジャンル:音楽


今日久々に体重をはかってみたら、夏と比べて2kgほど痩せてて驚いたよー。
どーも今晩は、ちるです。
HNが(自分的に)馴染むまで、律儀に挨拶していこうと思います。


さて、私はダイエットなんてもんにはこれっぽちも縁がありません。
まぁー女友達との会話じゃねー、「ダイエットしなきゃー!」「痩せなきゃー!」とかいう話はよくしますからねー、そういう時はそりゃーやっぱりさ、話合わせて口走ってみたりはするケドも。。
でも実際、ダイエットをしよう!と燃えたことなんて、19年の人生でたった一度もありません。…というか、実行を本気で考えたことすらありません。(ーwー)

…これは、誇っていいのか凹めばいいのか分かんないんだけど。。


別に、する必要がないとかそういう理由じゃないんですけどね。
むしろそんなことを言ったら、女の人の99%を敵に回すようなもんですが…。
なんつーか、

絶対無理なんです よね。ダイエットとかさー。


食事制限?おからハンバーグを食え?肉を食うな?
一日三食のうち、一食はリンゴにしろ?
カテキン緑茶(←効くらしい)を毎日欠かさず飲め?

はい、そんなの無理無理無理無理無理m(略)
…というわけです。 だってさー毎度の食事って楽しみじゃんね。(´w`*)


大体ねー。
わざわざ食事制限とかしてダイエットなんてしなくても、間食しなきゃーさして太らないんだって。いや、これはほんとほんと。
脂肪(ぜい肉)が無駄につくっていうのは、「おい、ちょっと…あんた余計なもん摂り過ぎてますよー。おらおらァー!」っていう警告なんだからさ。(? そもそも脂肪ってやつは、つくべきところにはしっかりつくけど、要らないとこにはつかないもんなんだって。落とせるもんなんだって。
そういう仕組みになってるんだよ、人間ってやつは。た、多分ね…。


取り敢えず間食キッパリ止めてみると、ほんと変わるもんでね。

いやぁー…
私なんて、中学~高校の部活やってた時期にはスナック菓子だのお菓子バクバク食ってたもんで、結構身体のところどころを気にすることもあったんですが…。
ここ何年か、スナック菓子とかほっっっとんど食べなくなったなぁ。。
むしろ、「ポテトチップスぅぅ?ぇー…なんかニキビ出来そう。つまんだ手が脂っぽくなりそう。」って感じに嫌悪感抱くほどにまで成長しちゃったよ。すげーな。。

だから。
間食を止めること、実は最高のダイエット方法だと思います。
なんちってねー。(ーwー)


大切に抱きしめてた宝物が
ある日急に偽物と明かされても
世界中にすり込まれている嘘を信じていく

すべてはフェイク


・ ・ ・

例えば、明らかに“嘘”であると分かりそうなものであっても。
誰かに「信じろ」と言われたなら、私は、信じることは出来はする…と思う。

そうして信じてみているうちに、、次第に、明らかに“嘘”だろうけど…もしかして実は“本当”なのかもしれない、と。たった数%の真実性をそこに見出せるような気になってくる。そんな自己暗示が自動的にかかって、心から信じてもいいのかも、と思えてきそうになるのだ。
そして、そんな自分が好きなのかもしれない。

…と言ったら、人は笑うだろうか。


「まずは疑ってかかれ」、という教えよりも
「取り敢えず信じてみろ」、という教えの方が好きだ。

単純に口で言えば、後者の方がなんとなくきれいな言葉に聞こえるが…。世間的に見れば、前者の方で構えていないと馬鹿を見ることは多いだろう。損をすることも多いだろう。
この広いようで狭い世界で、何をどう信じれば巧くいくと思うのだろうか。
疑わずしてどう巧くいくはずがあると思うのだろうか。

両端に【信】と【疑】のついたメーターがあったとして。
年を重ねるごとに、少しずつ【信】から【疑】の方へ針が動いていくのだろうな、と考えてみる。
つまり人間というものは、年を重ねるごとに色々なものに騙されて、疑うことを覚えていく。嘘を覚えていく。そして自身が生きる世界に蔓延る嘘の中で、一体何を選び取ればいいのかを学んでいく。
それが人間の生き方というものなのかもしれない。


それでも私は
“信じる” ...という言葉の響きが好きだ。

多少人よりも多くの事柄を信じてみてしまったとしても、多分、さほど傷つかない自信…というかそんな感じがするという気持ちが、あるのだ。
だから、信じやすい性質なのかもしれない。
だから、疑えない性質なのかもしれない。



―――という戯言だ。


よく聞く言葉だし、私自身もそうだろうと思うんだけども…
これについて、目からウロコの見解をひとつ。


こんな実験を行う。

【都市】、【郊外】、【田舎】の3地域別において、道行く人へ不意に援助行動を求めてみる。援助行動。具体的には…例えば、「お金を両替して貰えませんか?」とか「募金をお願いします」とかそういう感じのこと。

あらゆる援助行動を求めた実験の結果、応じてくれた人の数はまぁ予想がつくかと思いますが、、【都市】<【郊外】<【田舎】となったとしよう。
だが…
ある援助行動においては、3地域とも同じくらいの人が応えてくれたという。

それというのも。
道に落ちていた封筒を拾い、あるいは届ける―― という動作。
言い換えれば、人間を介さない援助行動である。



この結果から分かることがある。
都会人は、“人”と関わることを避けるのだ。

人と人が関わるということは、お互いに少なからず情報を手に入れ合う、ということだとする。つまり、人との関わり合いというものは常に情報の遣り取りである、と脳が認識しているのだ。
そうだとすれば。
都会生活では、街を歩けば否応にも膨大な情報が飛び込んで来る。新聞、テレビ、雑誌、看板、チラシなどと…それは止め処なく。こちらが望んでもいないのに、私達の周りには常に情報が満ち溢れている。

つまり都会人は、個人の情報容量が常にFULLに近い状態なのだと。
そしてその状態は、人の脳を、心を、疲れさせる。
だから、これ以上情報を自身に取り入れることを拒み、それゆえに人と関わることを避けたがるのだ。

都会人が冷たいのではなく。
都会に溢れる情報量が、人の冷たい反応を生み出しているのだ。



―――という社会学的な見解。

うん。
やっぱ社会学とって正解だったかも。
心理学に似た、「なるほど…」っていう納得感が得られる。(・w・)

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体


神は言われた。
「牛よ、お前に60年の寿命を与えよう。
60年、重たい荷車を引き、汗だくになって働くがいい。」
牛はこう答えた。
「そんなにいりません。30年で充分です。」
「そうか。」

神は言われた。
「猿よ、お前に40年の寿命を与えよう。
40年、猿真似をして、人を喜ばせるがいい。」
猿はこう答えた。
「そんなにいりません。20年で充分です。」
「そうか。」

神は言われた。
「犬よ、お前に20年の寿命を与えよう。
20年、番犬として玄関に立ち、来た者へ吼え続けるがいい。」
犬はこう答えた。
「そんなにいりません。10年で充分です。」
「そうか。」

神は言われた。
「人間よ、お前に20年の寿命を与えよう。」
人間はこう答えた。
「20年?それでは少なすぎます。ではこうしましょう、神様。
牛と猿と犬がいらないと言った分をそっくりそのまま私にください。」
「そうか、よかろう。」

だから人間は

生まれて20年は
人間らしく、毎日楽しく遊んで暮らし

その後30年は
牛のように、家族という荷を背負い汗だくになって働き

その後20年は
猿真似をして、孫を喜ばせて世話をし

その後10年は
番犬のように、来る者を吼えて帰すのだ。

テーマ:生き方 - ジャンル:ライフ


―――という感じで、久々にブログ書いたら
何だか事務連絡以外の記事もついでに書きたくなったので、投稿。(笑)
大した話じゃないですケドね!


高3の頃から、昔ほどあんまりドラマを見なくなっていたんですよ。
何でかというと、ドラマって毎週欠かさず見なきゃ、っていう時間的拘束意識が心の中に生まれるからです……かねぇ。ぅーん…いや、微妙に違うかな。。 まぁ、いまやYou Tubeで検索すれば大体観れるようになってたりするから、って言うのもありましてね。
それに、ふつうの恋愛ドラマとかって、大体展開が読めるからなぁ、ってのもある。


そんな私が、今毎週欠かさず観てるのが――― 『14才の母』
主題歌はご存知、Mr.Childrenの素晴らしき長編バラード、「しるし」です。

これはハッキリいって、良い。
ものすごく良いドラマだと思います。

でも、具体的にあれこれ長く語れる気分じゃないので… (ネットの環境的にも)
あー…これすごくイイな、って思った言葉を記しておこうと思います。
(※台詞はうろ覚えなので、完全再現じゃありませんが…。)



世間っていうのはね。
人と違う生き方をする人間に対して
信…じられないくらいに、冷たいものなの。


世界じゃ、食うものも無くて毎日戦っている難民がいる。
武器を持って戦っている子供もいる。
―――
お前は、戦っているのか。戦ったことがあるか。


・ ・ ・ ・

ちなみに。
私は、生きてきたこの19年間の人生を振り返ってみるとして
確かに“戦った”と思えたのは…

小学校高学年の、中学受験のための頑張り。

受験のことは、今更ぶっちゃけて言えば当時はよく分からなかった。ただ、どうやら受験しておけば後々“イイ”らしい、ということを漠然と知っていただけ。
親や先生に褒められるために、我武者羅に真っ直ぐに頑張っていたのかもしれないな。。
何だか知らないが、周りがやたらとヨイショヨイショしてくるから、それに応えなきゃいけないと思ってた。反発もせず、疑問も浮かべず、本当に頑張っていた。
…ま、それは小学生ならではの素直さですがね。中学生や高校生ならこうはいかないでしょうよ。だから私は高1で―――… いや、愚痴は止めときますか。(笑)

けれど。
アレを最後に、私は、私自身戦ってきたとはあまり思えない。
…必死に戦った“戦い”が見当たらない。戦っていない。
ついこないだ終えたばかりの大学受験においても、ひとつ自分に確かに問える。
私は戦っただろうか――― と。

…とまぁ、、
結構どうでもいい話ですがね。(苦笑)


『記憶による罰の効果』 ―――と題して新聞広告にて募集された、とある実験の被験者。
年齢や性別ももちろん考慮され、はば広い層から集められた被験者たち。
集めた彼らのうち、適当に選ばれたごく少数を【生徒役】とし、残りを【教師役】とする。

実験室において。
・【教師役】は、実験データを記録する科学者と同じ空間にいて、椅子に座って机に向かう。その机の上には、電気ショックを流すことのできる装置が置かれている。
・【生徒役】は、ガラスの壁で区切られた隣の部屋にいる。椅子に座り、両手首には電気ショックの装置から伸びたコードに繋がる枷がはめられている。

【教師】が装置のボタンを押せば、【生徒】の身体に電気ショックが流れる。
なお装置には20個ほどボタンがあり、最大450Vまで20段階ほど電流の強さが分けられている。



実験開始。

【教師】の机には数十枚のカードがあり、それには短いキーワードが書かれている。例えば、「青い箱」、「鋭いナイフ」、「野生の兎」...など。
【教師】はカードを取り、それに書かれているキーワードを【生徒】に読み上げて聞かせる。
全てのカードを読み上げ終えた後、また最初のカードに戻って同じようにキーワードを読み上げていくのだが…。。今度は前半部分しか言わない。そして後半は、【生徒】に記憶を頼りに答えさせる。
 教「青い…」
 生「箱。」  ...というように。

【生徒】が間違えたら、【教師】は装置のボタンを押し、【生徒】に、電気ショックという罰を与える。その強さは、間違えるたびに一段階ずつ強くしていかなくてはならない。

【生徒】が上げる悲鳴、絶叫、苦悶の表情や怯える様子は、ガラス壁を通して充分に観察することができる。
…それを見て、もし耐え切れなくなったらギブアップをしてもいい、という権利が【教師】には与えられている。ただし【生徒】にギブアップの権利はない。
だが…。
ギブアップしようとすると、すかさず慌てて科学者から慰めの言葉がかけられる。
「なんとか、もうちょっとだけ実験を続けてください…。大丈夫、大丈夫ですから。それに、この実験のデータが、世間のための研究に繋がるんですよ…!」 といった具合に。

それならば… と渋々ながらも再開させる【教師】がほとんどで…。

一ターンが終わったら、今度はカードの並びを変えて、またひと通り読み聞かせ、次に後半を当てさせていく... ということを何ターンも繰り返していく。



『記憶による罰の効果』

電気ショックという罰を受けたくない【生徒】は、その必死さから…
ターンを重ねていくたびに、自ずと記憶能力を格段にアップさせていくのではないだろうか。
―――という仮説が公言され、行われた実験であった。
無論、被験者たちの誰しもがその目的を思って実験に臨んでいた。…【生徒役】には可哀想ということになるのだが。。


しかし!

実はこの実験、広告に掲げていたのとは全く違う…別の目的があったのだ。
その、真の目的とは。。


そういえばこの間、何年かぶりに懐かしい人を見かけたので
彼について記しておこうと思います。


彼は、ホームレスです。




オウム真理教教祖の死刑確定。

費やした年数は10年とちょっと…ですかね。
…長かった。
本当に長かった、としか言いようがない。

10年前――― 地下鉄サリン事件発生の報道を、テレビや新聞でリアルタイムで見た日、それ以後あらゆるメディアでオウムという言葉が飛び交っていた時代、、私達は小学校の低学年だった。
「サリン」という毒物が地下鉄に巻かれ、人が「大量死」したらしい...
私の住んでいる当時の横浜には、東京のような網の目の地下鉄路線など走っておらず、地下鉄に乗ったこともほとんどなかった。だから、状況がまずよく掴めなかったし、身近だとは思えなかった。
…それでも。
20人を超える大量死。毒…毒物によって。
なんて恐ろしい事件だろう、と子供ながらにもそう思ったのは、今でもよく覚えている。


10年という時の中で...
人の想いなんてものは無意識にも幾らか薄らいで、感情の高まりはとうに弱まって、記憶にも徐々に“もや”が霞み始めてしまう。
事件の被害者の遺族の方は、当時は身の千切れんばかりの怒りと、哀しみと、ぶつけようのない憎しみを覚えたでしょうが、、この最終的な死刑判決を耳にして、今となっては…一体どんな感情を抱いただろう?

報われたと思えるのだろうか。 …いや、決してそんなことはない。


犯した罪に相応しい罰を...とはよく言ったものだけど
そしてその罰とは、とりあえず日本では死刑が最高極刑となるわけだけど
戦後最多となる計27人もの尊い命を奪った、1人の首謀者の極刑死が、その27人の命への報いになるとは、きっと誰もが思わない。
その罪にその罰では、天秤が釣り合うわけがない。…足りない。足りなすぎるのだ。
いや…そもそも数じゃない。
「殺された人間の死」と「殺した人間の死」が、たとえ数的には一対一であったとしても、釣り合うはずがない。…釣り合っていいはずがない。いつだってその天秤は水平になることはなく、「殺された人間の死」側に傾いたまま終わってしまうのだ。

この手で犯人を殺してやってもいい、と思わない遺族がいるだろうか…?

…だがその憤りを隠して、マスコミのインタビューにメディアの前では「犯人本人の口から、事件の全貌を隅々までちゃんと語って欲しい。謝罪の言葉が欲しい。」 ...譲歩してそう言っているのに、それすらも叶わなかったのだ。


10年とちょっとのやり取りに打たれた、終止符。
長すぎる裁判への疑問もそうだが、とりあえず自分の思ったことを述べておいた。



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