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大切に抱きしめてた宝物が
ある日急に偽物と明かされても
世界中にすり込まれている嘘を信じていく

すべてはフェイク


・ ・ ・

例えば、明らかに“嘘”であると分かりそうなものであっても。
誰かに「信じろ」と言われたなら、私は、信じることは出来はする…と思う。

そうして信じてみているうちに、、次第に、明らかに“嘘”だろうけど…もしかして実は“本当”なのかもしれない、と。たった数%の真実性をそこに見出せるような気になってくる。そんな自己暗示が自動的にかかって、心から信じてもいいのかも、と思えてきそうになるのだ。
そして、そんな自分が好きなのかもしれない。

…と言ったら、人は笑うだろうか。


「まずは疑ってかかれ」、という教えよりも
「取り敢えず信じてみろ」、という教えの方が好きだ。

単純に口で言えば、後者の方がなんとなくきれいな言葉に聞こえるが…。世間的に見れば、前者の方で構えていないと馬鹿を見ることは多いだろう。損をすることも多いだろう。
この広いようで狭い世界で、何をどう信じれば巧くいくと思うのだろうか。
疑わずしてどう巧くいくはずがあると思うのだろうか。

両端に【信】と【疑】のついたメーターがあったとして。
年を重ねるごとに、少しずつ【信】から【疑】の方へ針が動いていくのだろうな、と考えてみる。
つまり人間というものは、年を重ねるごとに色々なものに騙されて、疑うことを覚えていく。嘘を覚えていく。そして自身が生きる世界に蔓延る嘘の中で、一体何を選び取ればいいのかを学んでいく。
それが人間の生き方というものなのかもしれない。


それでも私は
“信じる” ...という言葉の響きが好きだ。

多少人よりも多くの事柄を信じてみてしまったとしても、多分、さほど傷つかない自信…というかそんな感じがするという気持ちが、あるのだ。
だから、信じやすい性質なのかもしれない。
だから、疑えない性質なのかもしれない。



―――という戯言だ。
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